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新橋さんぽ

[2011/02/28] 二十一歩目 『新橋』

以前、前新橋一丁目東部町会々長から話を聞いたことがありました。
「昔はうちの裏に川が流れていたんだよ。ちょうど、お多幸さん(現在は新橋三丁目に移転、第十二歩目で伺ってます)の真裏で汐留川といっていたんだが、皇居の外堀の排水路だったんだよ。土橋があるところは、お堀から流れてくる水をせき止めておく堰堤(えんてい)になっていて、干潮時に水が汐留川に落ちる音から土橋のことを「どんどん橋」ってよんでいたんだ。」
「汐留川ではね、ハゼも釣れたしお堀から鯉や金魚なんかも落ちてきたりもしたよ。船の通りも多くて高橋歳光商店さんのような古い家(立退きにより現在は芝へ移転)には、地下があって直接船から積み下ろしができるようになっていたんだよ」
「うちもビルにする前には、建材屋だったからむろん川と直接行き来できるドアが地下にあったんだよ。」
「へぇ~自分の家から船に乗れたり、魚釣りができたなんて凄いなぁ。」


お多幸さんの裏の汐留川


現在の汐留川が流れていた場所

 

 

汐留川の辺りだけは太平洋戦争の空襲では焼けなかったらしく、その周辺は焼け野原になってしまい遠くまで見渡せたそうです。今でも1軒だけ古い木造の家が建っています。
このような建物は残してほしいです。


新橋から土橋方面の汐留川


現在の土橋 高速道路の
入り口になっている
 


 


一軒だけ残っている木造建築

 

戦後になると新橋の駅前には闇市ができ、さまざまなものが売られ人がごった返していましたが、活気があって戦後の日本復興の原点だったのかもしれません。そんな闇市もだんだんと整理され、駅前に馬券売り場などもありましたが高度経済成長期にはいると、新橋の駅前もまた汐留川も大きな時代の流れに飲まれるように変わっていきます。
駅前の馬券売り場のあったところは広場になり今では新橋の象徴とも言える蒸気機関車が置かれ、小さな店が立ち並んでいたバラックの跡にはニュー新橋ビルという大きな建物が建設されて闇市の頃にあったようなおみせは姿を消していったのです。
現在は広場全体がバリアフリー化され、ニュー新橋ビルだけでなく多くのビルが立ち並ぶ街の風景になりました。


昭和34年の新橋西口広場左手に
場外馬券売り場


ニュー新橋ビルができた直後の
昭和47年の西口広場


現在の西口広場

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