イナセくんと行く、新橋さんぽ

新橋さんぽ十二歩目

新橋お多幸

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桜田公園の木々も色付き冬将軍の足音も聞こえてきました。寒くなると体の温まるものが食べたくなりますよね。お鍋もいいけど、おでんもいいです。そういえば最近はコンビニでもおでんは売ってるけど老舗のおでんやさんはどのようにおでんを作っているのだろう?
そこで新橋お多幸さんに足を運んでみました。
新橋お多幸さんは、赤レンガ通りの『新橋三丁目』信号機の傍のビルの地下一階にあります。
「ここだここだ」
階段を降りて扉を恐る恐る開けると、「まだ開店前なのですが。」と三代目の柿野幹成さんが対応してくれました。

 

ちょっとイケメンの幹成さん

 

入り口の写真

 

「おでん屋さんのおでんの作り方とお多幸さんに興味がありまして・・・お話きいてもいいですか?」
幹成さんは「いいですよ。」と言って部屋に案内してくれました。
新橋お多幸さんの創業は初代の柿野光春さんが銀座四丁目にあったお多幸に修業に行き暖簾わけをして貰った事で昭和七年に現在新橋一丁目にある新橋印章の場所に開店しました。その後戦争で営業が困難になりましたが、昭和二十七年に同じく新橋一丁目の芝口薬局の並びに店を移し営業を再開しました。その場所で五十七年間営業をしていたのですが平成二十年の八月に現在の場所に移りました。
現在三代目の幹成さんは会社員をしていたのですが、二代目の柿野守彦さんの体調が悪くなってしまったので初代、二代目の守ってきた店を潰す事は出来ないという熱い思いから一年間名古屋のお多幸に修業に出た後、平成四年に新橋お多幸に戻られたそうです。

 

創業したときの写真

 

前の店の後ろは川が流れていました。
東京オリンピックの開催で昭和三十年代に埋め立てられてしまいます

 

[ さんぽ公開日:2009/12/15 ]


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