イナセくんと行く、新橋さんぽ

新橋さんぽ二十一歩目

新橋

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「♫汽笛一声新橋を~♪♪♪」
こんにちは、イナセです。新橋は日本ではじめて鉄道の走った始発駅です。
新橋というからには、ズバリッ!【橋】があったに違いないと思って調べてみました。
新橋という【橋】は汐留川(新橋と銀座の境を流れる川)に架かっていた実際にあった橋で、1632年にはすでに架けられていたらしく、新橋よりも土橋が汐留川に以前から架けられていたため、新しい橋で『新橋』と名づけられたみたいです。江戸城の外廓の守りに芝口門が造られたことで一時は芝口橋と呼ばれたこともあったそうですが、門が焼失したのをきっかけに橋の名前も『新橋』に戻りました。
 
江戸時代から明治初期にはまだ鉄道が走ってなかったので、新橋は日本橋・京橋とともに東海道に出る重要な橋で、その象徴として“擬宝珠”(ネギの花に似た飾り)が飾られていました。擬宝珠とは江戸城の御門橋にしか飾られない非常に貴重なものであったそうです。
『新橋』は明治32年にそれまでの木橋から鉄橋に架け替えられ、鉄道馬車(線路の上を馬車が走る)が走り、また上野行の路面電車も通るようになったのです。
 
新橋駅ができる以前は、新橋の北側つまり現在の銀座から築地の手前あたりまでを新橋と言っていたらしく、その名残なのか現在でも新橋演舞場や新橋花町・新橋芸者は中央区にあるのです。新橋駅ができてから、『新橋』の橋の南側を駅名にちなみ≪新橋≫と呼ばれるようになったのですが、この頃の町名はまだ芝口町や二葉町でした。


明治中期の新橋から銀座を望む


大正10年の新橋の地図

 

 

関東大震災によって新橋も激しく損傷したらしく、大正14年に鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられたそうです。
この頃には新橋の交差点付近に佃煮で有名な「玉木屋」やすき焼きの「今朝」などが店を構えてまた住友銀行新橋支店も既に出店しており、路面電車の線路や停留所が交差点に置かれました。
芝口町、二葉町が正式に新橋という町名に変わったのは、新橋駅ができてから30年もたった関東大震災後の昭和7年の市区改正によるものであります。この時初めて≪新橋≫という町ができたのです。


昭和5年の新橋交差点 つくだにの看板が見える


昭和13年の新橋


昭和13年の難波橋

[ さんぽ公開日:2011/02/28 ]


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