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新橋レポート

[2010/11/01] 十九歩目   『新橋赤レンガ通り発展会』

みなさん、お久しぶりのイナセです。新橋の街を散策していると色々な通りの名前が出てきますよね。その中でもオイラ、「新橋赤レンガ通り」って赤レンガが敷き詰めてあるからその名前がついたのかな?それとも赤レンガの建物がどこかにあったのかな?と、以前からの疑問を解きたくて新橋赤レンガ通り発展会の会長さんを訪ねてみました。

イナセ「初めまして。オイラ、イキデイナセと申します。今日は新橋赤レンガ通りについて知りたいことがたくさんあって取材させていただきたいと思います。宜しくお願いします。」
会長「イナセ君、初めまして。よく来てくださいましたね。」
会長の高木さんはすらっとした長身の紳士的な方でした。


熱く誠実に語ってくださった高木会長

新橋赤レンガ通り入り口のさくら新橋ビル前にて

イナセ「会長、早速ですが新橋赤レンガ通りの名前の由来を教えていただけますか?」
会長「その質問は良く聞かれることが多いね。イナセ君も知っているとは思うけれど、江戸時代から明治時代にかけて江戸の町は火事が多かったんだ。特に明治5年の和田倉門外から起きた火災では、銀座、築地一帯が焼失してしまったんだ。このため、明治政府は東京府に対し火災を免れるためレンガなどを使って建築する方針を決定したんだよ。その後、新橋赤レンガ通りの丁度真ん中辺に、赤レンガ造りの『清隆館』という勧工場(かんこうば)が出来たんだ。勧工場とは今でいうと百貨店みたいなものかな。その建物が新橋赤レンガ通りの名前の由来になったといわれているんだよ。」
なるほど、新橋赤レンガ通りの由来は、赤レンガで舗装された通りだからというのは間違いで、赤レンガでできた象徴的な建物があったからだったんだ。その当時の赤レンガ造りのモダンな建物ってどんなものだったんだろう?なんだか見てみたいな!


もう一つの新橋赤レンガ通り入り口の堀商店前にて

新橋赤レンガ通り最終地点の愛宕警察前

イナセ「新橋赤レンガ通り発展会の歴史について教えてください。」
会長「新橋赤レンガ通り発展会は昭和54年10月に発足しましたので、皆様のお陰で昨年30周年を迎えることが出来たんだ。会員店舗数は現在約90店で、その他にも美しいレディース会員が27名在籍しているんだよ。約1キロメートルにわたる新橋赤レンガ通りは、新橋2丁目~6丁目までのなんと11町会にまたがっているんだ。また当会は新橋という港区内でも有数のビジネス街に位置しているので、商店ばかりでなく多くの企業様にも会員として加入いただいているところから、会の名称も商店会ではなく発展会としたんだよ。」
なるほど、それで新橋赤レンガ通り商店会ではなくて、新橋赤レンガ通り発展会なんだな。つまり新橋赤レンガ通りに面している全てのブロックのお店や企業が発展してほしいという願いが込められているわけだ。それに美しいレディース会員が27名も参加しているとはなんとも頼もしいね。


新橋赤レンガ通り発展会は創立30周年を迎えました!

イナセ「レディース会が中にあるのは珍しいですね。具体的にはどのような活動をされているのですか?」
会長「レディース会員が中心になって、新橋赤レンガ通り沿いに植えられている花を季節毎に植え替えたり、通りの清掃を行っているんだよ。」
どおりで通り沿いに植えられているお花がきれいなわけだね!


レディース会員によって綺麗に植え替えられた花々

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