しんばし通

Shinbashi Expert しんばし通

[第一幕] 新橋の過去・現在・未来

第1回 闇市、省線、円タク、「リンゴの唄」、「東京ブギウギ」、「銀座カンカン娘」


 皆さん「SHINBASI NET」 にようこそ。今から半世紀以上も前、この地域全体は東京大空襲によって 壊滅的な打撃を受けました。そして戦争が終わり、「リンゴの唄」などに励まされ、ようやく生活の形が 出来上がる昭和26年、朝鮮戦争が勃発、以後朝鮮半島はいわゆる北朝鮮と韓国とに分かれ、新橋だけで なく日本国中、米軍がもたらした特需景気で賑わいました。闇市や屋台商人達は店を構え、省線(今のJR) や都電も充実し、円タク(今のタクシー)が街中を走り、進駐軍と仲良しのお嬢さんたちはお仕事が終わる と朝6時ごろから新橋のレコード屋さんの扉を叩き、「センチメンタル・ジャーニー」や「カスバの女」を 買っていったそうです(84歳になる新橋東京堂の創設者大谷ヨシさんの話)。

 現在の「ニューしんばしビル」の辺りは、立ち飲みの焼鳥屋さん、中華屋さん、飲み屋さんに混じって パチンコ屋さん、お菓子屋さん、おもちゃ屋さん、などがまるで迷路のように乱立し、そんないくつかの店 のごひいきになることが当時"しんばし通"だったそうです。やがて新橋駅前の広場には場外馬券売り場が 出来、お休みの日には銀幕を張って「力道山」や「ローン・レンジャー」などのテレビ番組が放映されました。 「火事と喧嘩は江戸の華」ではないけれど、この頃の新橋は火事も多く混沌としていて他所から来た人は 溶け込むのに少し時間がかかりました。でも新橋の繁華街のど真ん中にある桜田小学校の生徒達にとっては こんな酔っ払いの多い危なっかしい大人の街も絶好の遊び場、「東京ブギウギ」や『銀座カンカン娘』が 流れる中、駅前から土橋を越えて銀座から日比谷公園辺りまでは彼らの遊び場兼校庭、当時の都心生まれの わんぱく小僧達は日比谷公園の鶴池や亀池で蛭に血を吸われながらザリガニを取ったり、銀座と新橋の境に 架かる土橋の埋め立て工事現場に入ってイカダを浮かべて遊んだりしていたんですよ。

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